7dys 映画紹介チャレンジ 七つ目
これは、映画の話しじゃなくて、ほぼ自分史です。
長文で申し訳ないです。
興味のない方は、スルーしてください(/・0・)
春の自粛中に、『7日間ブックカバーチャレンジ』って言うのが回って来て、日記を書いた。
好きな本を1日1冊、表紙の画像を7日間日記に投稿するって言うもの。
今度の自粛で、『映画紹介チャレンジ』って言うもののバトンが回ってきた。
その、7つ目 シメです。
⑦印象深かった映画
1069年 フェリーニ監督の『サテリコン』
私は、小学校1年から、電車で20分ほどの私立の小学校に通っていた。
小学校へ通うようになって、近所の友達から、仲間外れにされた。
「〇〇ちゃ~ん 遊びましょ~」
って行くと、それまでの仲良しさんが、他の近所の子と遊んでいて、
「じゃぁ、三鷹小学校の校歌歌える? 歌えたら遊んであげる」
って言われて、泣いて帰ったことがある。
子供仲間が一人だけ、電車で遠くの学校へ行くって、もしかしたら、うらやましかったのかも知れない。
または親が「あそこんちは私立よ、お高くとまっちゃって」
なんて話しを、子供の前でしたのかも知れない。
でも6歳の私は、一緒に遊んでもらえなくて・・
ただ悲しかった。
淋しかった。
入ったのは、電車で6つ目の受験小学校。
教科書は、2年の3学期に3年、3年の二学期に4年をって、どんどん先取りをした。
6年は1年間、各有名中学の過去問題を解いては成績を競った。
4年くらいからは、そんなストレスフルな生活で、各学年ひとりくらいずつ、スケープゴートがいたの。
今から60年近く前で、まだ、いじめ って言うのが問題になる時代じゃない。
スケープゴートにされて、転校していった子もいたよ。
私の兄はしっかりしていて、母によく似た几帳面な性格で、おりこうさんだった。
私は家族の中で一番小さいから(今考えると当たり前なんだけど)、自分だけ何をやってもできない、ダメな子だって思っていた。
母も、ことあるごとにそう言っていたし。
母は、いつも
「お前は馬鹿だねぇ。何をやってもいい加減だねぇ」って言っていた。
大人になってから思うに、体の弱かった兄が頑張るようにって、
「お前はほんとに頑張るねぇ、沙羅はだめだけど」
って、兄を発奮させたかったんじゃないかな。
私が子供の頃は、男の子はしっかりしてあとを取ってもらって、
女の子はどうせ嫁に出すから、出来が悪くても可愛がられる方がいい。
なんて、親世代が思っている時代でした。
色々、手はかけてもらったから、愛情はあったんだろうけどね。
でも子供って、親の言葉かけ一つで、あっけなく自信を失うんだよね。
そして実際私は、落ち着きがなくて、どうしようもない子だと思っていたみたい。
じっとしていられない子だったし・・・
何を言っても、へらへらしていたから。
小学校低学年くらいまでの自分を考えると!
今で言うADHDだったんじゃないかな、って思う。
多動症候群。
ああ・・・
今でも多動だし~("⌒∇⌒")
そして3月生まれで、奥手だったから、小学校に入っても勉強ができなかった。
成績順の班分けで、成績が悪い子は教師から率先して馬鹿にするような、そんな風潮でした。
私は、4年の頃から卒業まで、同級生からいじめを受けていた。
ブランコでおもらししたとか 鼻くそを食べたとか、
根も葉もない話がでっち上げられて、私が近ずくと キャーッとみんなで逃げる
って感じの、いじめを受けていました。
それまで、そこそこ仲が良かった子も、自分がスケープゴートにはなりたくない。
だから、後ろめたそうな表情をしつつも逃げた。
ああ、○〇ちゃんも逃げるの?
そうなの?
そんなに私はダメな子?
自分はできない子だと思っていたから、当然勉強はしなかった。
ので、そりゃ勉強はできないよね。
でも、いじめられていることは、親にだけは知られたくなくて・・・
知られるのが恥ずかしくて、頑張って学校には通っていたよ。
だから、子供が生まれてから、公園とか、子供の幼稚園のママ友で、
他の人がからかわれたり、仲間外れにされていたり、淋しい思いをしていると思うと、絶対放っておけない体質になりました。
うちに毎年、ママ友新年会で来る一人が、ことある毎に、その話をしてくれる。
「あの時、沙羅さんが話しかけてくれなかったら、二度とあの公園には行かなかった」
って、10年くらい経ってママ友が話してくれた時、
私がいじめられたのも、無駄じゃなかったんだな。って思えたよ。
人生に、無駄なんてものは、ないんだねぇ(^ー^* )
小学校からは、ほぼ全員私立中学を受験するんだけど、
だからみんな寝る間も惜しんで勉強していたらしい。
そんな中で私は、自主的に勉強をしたことがなかった。
だから、小学校の成績は、最底辺だった。
金の班、銀の班 なんて言う成績順の班分けで、私は鉱物にもなれないタドン班でした。
今考えると・・・ひどい教育だよね。
これじゃ、いじめが出るわけだよ。
タドン班でも、渋谷の実践に入ったから、まぁ、馬鹿でもなかったんでしょうね。
そうそう。
知能テストって言うのを毎年学校でやらされて、親が嘆いていたっけ。
「お前は、知能テストはこんなにいいのに、何で勉強ができないの?」って。
だって、自分は馬鹿だと思っていたら、勉強する気にはならないよね。
馬鹿だと思っていたのに・・・
中学に入ったら、数学でいい成績を取ってしまって・・・(?+_+)
めちゃくちゃ カルチャーショックでしたよ(´ー`;)
『私・・・馬鹿じゃなかったの?』(?+_+)
って感じ。
生まれて始めて、勉強をするようになったら、
何だ、勉強って面白いじゃん!
って、びっくりしたんだよ。
で、そんな小学校時代だったから、遊び友達なんていなかった。
本もよく読んだけど、映画も好きだった。
見たい映画が近くでやっていないと、母やお手伝いさんにおねだりした。
吉祥寺や立川の映画館に連れて行ってって。
その延長で、通った女子学校が渋谷だったので、中三の時にこの・・・
(やっと本題に入ります(=^^ゞ ポリポリ)
「サテリコン」を見ました。
中三だよ。
初キスもまだなのに!
いきなり、美青年が美少年を抱いたりするシーンで、もう~
ドキドキ、バクバク!(〃⊃ω⊂〃)
あらすじ
美青年の学生エンコルピオは、愛する少年奴隷ジトーネを親友のアシルトに奪われる。
エンコルピオは芝居小屋に売られていたジトーネを、必死の思いで奪還する。
けど、自分のもとに留まるかアシルトのもとへ行くかをジトーネに選ばせてしまう。
ジトーネは、アシルトのもとへ行くことを選択しちゃうんだ。
愛する者に去られたエンコルピオが泣いていると、エンコルピオの泊まっていた宿が地震によって崩落する。
行くあてを失ったエンコルピオは、たまたま訪れた美術展で詩人のエウモルポから声を掛けられて、知人の宴に向かう。
ところが、あるきっかけでエウモルポは、知人の怒りを買って、燃え盛る炎の中へ放り込まれそうになる。
エウモルポとエンコルピオは、何とかしてその場から逃れるけど、2人とも逃亡に疲れ果てて砂漠の上で眠ってしまう。
翌朝、無防備に眠り込んでいたエンコルピオは、リーカを首領とする海賊団に捕らえられて、奴隷船に放り込まれる。
そしてエンコルピオは奇遇にも、奴隷船の中でアシルトとジトーネの姿を発見する。
「サテュリコン」は、紀元1世紀頃にペトロニウスによって書かれたと推定される文学なんだって。
で、ネロ期の堕落した古代ローマを描いたピカレスク小説。
それをフェリーニ監督は、ものすごい規模の舞台を作って映画にしたの。
第43回アカデミー賞で監督賞。
第27回ゴールデングローブ賞の外国語映画賞にノミネート。
第30回ヴェネツィア国際映画祭では、最優秀イタリア映画賞を受賞している。
渋谷パンテオンで、この映画を見たってのも、なんか縁があるね~。
パンテオンって、古代ローマ遺跡だもんね。
これでもかって言う露悪的なシーンが続くんだけど、
ある意味美しくて、目が離せない映画。
パルテノン宮殿みたいな背景でいきなり、
「しぃ~おぉ のぉ~や~ぁ~まぁ~・・・」
って地歌が流れて! もうびっくり。
当時、お琴を習っていて、これは千鳥の曲の中の地歌なの。
「汐の山 さしでの磯に住む千鳥」
それから、当時真言宗のお経をレコードで覚えて、遊んでいたんだけど、
荒野のシーンで
「かんじざいぼさ~ぎょうじんはんにゃ~はら~みた~」
(観自在菩薩 行深般若波羅・・・)
って流れてきて、
イタリア人にはこれが、古代的な雰囲気 あるいはエスニックな雰囲気に聞こえるのかな
って、不思議だった。
退廃しまくったおどろおどろしい世界は、中三の私には衝撃で、この映画もモスラ同様 3回見ました。
この映画から、私の嗜好が変わったの。
印象深い なんて言葉では言い尽くせない映画です。
うぶな少女の乙女心は、腐女子(って言葉はご存じですか?)の道に、まっしぐらに進んだ。
衆道から南方熊楠にもはまって、中高時代の趣味は、山と心理学と衆道研究?って言う・・・
変な女子高生よね~(⌒~⌒ι)
ちなみに。
小学校のいじめ体験からか、はじめて夫が怒鳴った時に、体がビクッと反応して委縮した。
昔、男子が椅子を蹴って脅した時のように、怖くて動けなくなった。
それが夫には、余計に腹が立ったらしくて、子供が小さい頃に夫のDVが、どんどんエスカレートしたんでした。
トラウマって・・・
20年経っても忘れないで、後を引くんですね~。
って事は、思春期に夫のVを見て閉じ籠った、娘のトラウマは・・・
いつ解けるのだろう【T_T】
虐待で、そばにいた母親が、なぜ止められなかったのか。
って言うニュースを見るたび、心が震えました。
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい(。_。;)
でも・・・止められないよ~【T_T】
夫は、虐待って言っても、子供が話しかけたり、近づいた時、付き飛ばしたり無視したくらいだったけど・・・
それでも、夫に隠れて近づいて、無言で子どもを抱くくらいしかできなかった。
もし、もっと暴力的だったら・・・
はたして子供を連れて、逃げられただろうか?
私は、虐待児の母親を、責められません。
もっと子供が小さい頃に、別れる選択肢もあったのに!
私には、経済力も、この 今住んでいる母の家もあったのに。
娘には、本当に申し訳なかったと思っています。
DV男、自分の怒りを制御できない男は、それを自己分析すべき。
自分の過去の満たされなかった怒りを、人に、家族に、八つ当たりしちゃいけない。
妻に負けてなるものかと、ことごとくマウント取って、妻の心をぼろぼろにしている男は、多いんだろうな。
映画の話から、遠のいちゃいましたが・・・
これを書いたことで、少し、心の滓が減ったような気がします。
こういう機会を下さった、ねこのしっぽさん、カズーチカさん
ありがとうございます。
こんな暗い日記を・・・
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今夜はひな祭り。
煮物とシソ巻きとサラダの、簡単なお祝膳
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